カタダのペンギンな日々

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イケダハヤトがnoteの魅力を潰す(!?)

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イケハヤさんには絶対に理解できないnoteの本当の魅力について書いてみる。

 

皆さんは最近ネット界隈を騒がせている「note」というウェブサービスをご存じでしょうか? 

note.mu

知らない方のためにサイト内の説明文を引用すると、

noteは、だれでも作品を投稿して、クリエイターになることができるサイトです。文章、画像、音声、動画など、さまざまな形式の作品を、かんたんに投稿できて多くの人に見てもらうことができます。 

ということで、文章やイラスト、音楽、映像などを販売したり無料で公開したりできるサイトです(2014年4月オープン)。

ザックリ言えば、クリエイターの活動を支援するためのプラットフォームといったところでしょうか。

 

僕は一人の泡沫ライターとしてこのサイトに魅力を感じていて、近々利用したいと考えていたのですが、ここに来て考えが変わりつつあります。

なぜなら、この一ヵ月ほどでnoteは「金儲けのサイト」として急速に認知を広めつつあり、同時にその魅力を失いつつあるからです。

 

noteに訪れた分岐点

なぜそのような流れができたかといえば、(それだけではないけど)ネット上のインフルエンサー、イケダハヤトさんが同サイトを利用し始め、「こんなに儲かる!」とブログやtwitterで吹聴し始めたのが最大の原因でしょう。実際、氏はnote内で「noteで稼ぐノウハウ」も販売しており、それなりに売れているようです。(はあちゅうさんも似たような活動をしているが、イケダ氏のほうが「稼ぐ」に特化している印象が強い)

※ちなみにnoteは利用規約で「情報商材」の販売を禁止しており、その辺の定義があやふやなのですが、ここではその話はいったん脇に置きます。

 

僕が問いたいのは、note運営は本当にこの流れに身を委ねていいのか?ということです。

 

そもそも、noteの魅力とは何だったのか 

作品を販売して稼ぐサイト――そうひと言で説明してしまえばそれまでですが、このサイトには、ただの販売プラットフォームを超える魅力が備わっていたと僕は感じています。

それはひと言でいえば、「クリエイターが”稼ぐ”ことを許容する空気」です。(抽象的ですみません)

今、クリエイターが生み出す作品はバイラルメディアなどによって、急激にタダで消費されてしまいます。そのくせ、マネタイズに乗り出すと毛嫌いされる風潮があるのです。少しでもお金がちらつくと「クリエイターなのに金目当てか」「ファンを食い物にするつもりか」などと嫌儲厨によって騒ぎ立てられたり。

そんな若手クリエイターにとって活動しづらいこの社会、とりわけネット上に置いて、「稼いでもいい空気が流れる場所」を作り出したことが、このnoteの最大の功績ではないでしょうか?

そこには「お金目当て」のサイトとは一線を画す、オシャレでクリエイティブな空気が漂っていました。これは偶然生まれた空気でなく、運営が慎重にブランディングをした賜物だと僕は考えています。サイトデザインなどもそれを物語っていますし、何より僕が偶然でないと確信したのは、運営者の加藤貞顕氏が書いた「上が空いている場所」というタイトルのエッセイを読んだからです。

少し長くなりますが引用します。

上が空いている場所
 
一昨日、「30前のおもしろいひと」はどこにいるのか、という記事を書いた。ぼくは、テクノロジーと「なにか」が融合する場所にいるのでは?ということを書いたのだけれど、その後、なんでそこなのかなと考えていた。
 
ひとつ気づいたのは、「上が空いている」からだろうなということだ。若者たちが育つ場所は、いつだって「上が空いている」場所だ。権力者たちが自分の上にいて、しかも、そんなひとがたくさん「順番待ち」をしているような場所では、若者が急成長することは難しい。成長に必要なのはいつだって、現場で得られる経験だからだ。
 
ないないずくしのベンチャー企業で、急成長する人々があらわれることがあるのは、だからだろう。素人ばっかりでチャレンジするほとんどのプロジェクトは失敗するんだけど、ごくたまにヒットが生まれて、それを担当した人物が未来の偉い人になる。
(※後略)

上が空いている場所|加藤貞顕|note

これがnoteについて語ったものだとは明言されていませんが、僕にはこの「思い」がこれまでのnoteの魅力の本質を語っているように思えてなりません。

まだノウハウのない新しい場所で、「稼ぐ」ことのシロウトであるクリエイターたちが試行錯誤することで、大きな収入減を確保できるかもしれない。その期待感こそが、サイト全体のワクワク感を作り上げていた気がするのです。

そこはただ「上が空いている」だけでなく、自由で楽しげな空気が流れていました。現実社会でいえば、同人誌の販売会や、街のオシャレなバザーのような空気に近かったのかもしれません

それは、note運営が1年以上をかけて作り出した、インターネット上の特別な場所のはずでした。

 

ですが、

その場所に――まさに空いていた「上」から――ハゲタカのようにやって来たのがイケダハヤト氏です。

彼はそこにすでにいたクリエイターたちの「稼ぐ力」のなさをあざ笑い、

「ここが儲かる場所であると気づいた」と吹聴し、

「お前たちも早くここに来て稼げよ」と追従者たちを煽りました。

その結果、魅力的であったはずの場の空気が荒らされ、ただの凡庸な販売プラットフォームに成り下がろうとしているとは言えないでしょうか?

 

そしてイケダ氏は(無意識かもしれませんが)自分が「場の価値」を食い散らかしていることを知っています。だからこそ「先行者利益」を説き、早く参入したほうが稼げると煽り、そのノウハウを販売し、金に換えているのです。

もちろん彼が培った手法(そして何よりネームバリュー)があれば稼げるのでしょうが、それは従来からすでにあり、すでに散々批判され続けてきた 「情報商材ビジネス」の手法そのものではないでしょうか?

 

せっかく生みだされた若手クリエイターにやさしい「稼ぐ場所」が、従来と同一の、多くの人に忌み嫌われるサイトに堕ちようとしているのです。

 

まとめ 

もちろん、ひと言でイケダ氏が悪い!という話ではありません。彼と運営者の加藤氏は容易にコミュニケーションが取れる立場でしょうし、運営に容認されている以上「好き勝手やりやがって!」という批判は当たらないでしょう。

ただ、イケダ氏が自分の文章を「アート」だと自称するのなら、noteというサイトが持つ価値について、一度考えてみてほしいとは思います。

そして運営にも、近視眼的な利益・ユーザー数の増大を目指すだけでなく、もう一度noteが果たしつつあった役割・価値について考えてみてほしいのです。

 (もしここに書いたことが見当違いであるなら、それ以上僕から何か言うことはありません。ただ、とりあえずnoteで稼ぐノウハウをnoteで売るというはしたない行為だけはやめようよ、とは思うのですが、どうでなんでしょう…?)

 

 ※念のため言っておくと、この記事はイケハヤさんの活動スタンスを批判するものではなく、「noteでそれをやることの是非について考える」という趣旨のものです。

 

※最後に…

・「noteについて批判めいた記事を書くとはてなやはてブのページから消される」という情報を一部から得ましたが、この記事がそのような憂き目に遭わないことを信じて書きます。これはnoteを応援する意図で書くエントリーです。

・この記事ははてなブロガーの(id:tensaychang)さんのブログに触発された部分があるということだけ言及させていただきます。  

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