今日、たまたま「サザエさん」を見た。
見たというより、ちょうどテレビのチャンネルが合わさった――本当にそれくらいの、偶然のきっかけだった。
「磯野ォ!」でおなじみ中島君役の白川澄子さんの、最期の出演回であると知ったのは、番組途中、SNSを見てのことだった。
☆
僕は「サザエさん」も「ちびまる子ちゃん」も大好きで、子どもの頃から毎週欠かさず見ていた。けれど大人になり、いつの間に距離を置くようになり、いまではすっかり見なくなっていた。
だから、本当に久しぶりに見た。
そして僕は、なんとも言えない気持ちになった。
なぜなら、登場人物のほとんどの声が、僕の知っている声とは変わっていたからだ。
波平さん、フネさん、ワカメちゃん、カツオ・・・。
もちろん今の声優さんの声が合わないとか、そういうことではない。自分が知っていた声と違う、言ってみればそれだけの、些細な違和感だ。アニメ自体は相変わらずの雰囲気で、楽しい作品だった。
けれど僕は同時に、昔の、少しだけ悲しい記憶を思い出した。
子どもの頃、僕は「ちびまる子ちゃん」が好きで、特に友蔵(おじいちゃん)が好きで、その優しい声が好きだった。
だが、その声(声優さん)が、途中から変わってしまったのだ。
まだ少年の僕はその違和感に怒りに似た感情をおぼえ、「こんなのは友蔵じゃない!」と家族や友人に愚痴っていた気がする。
だが、そのまま何回か見続けるうちに、僕はその声に慣れていった。それは喜ばしいことなのだが、ふと気づいた。
元の友蔵の声が、思い出せない――。
これは僕だけなのか、それとも皆そうなのか、確かめたことがないのだが、僕はアニメキャラの声の記憶が「上書き更新」されてしまう。
つまり、交代した新しい声に慣れた時点で、元の声を忘れてしまうのだ。
好きだった声を忘れているという事実に気づき、僕はしばらく呆然となった。
それ以来、僕はアニメ声優の世代交代に、少しばかりの怖さ(と言っては大げさだけど…)をおぼえるようになってしまった。
たとえばドラえもん。僕は、あの特徴的な大山のぶ代の声を忘れてしまうのかもしれない。そう思うと、どうしても新しい「ドラえもん」を見ることをためらってしまう。
ふと今思ったのだけど、僕は無意識に、新しい声に交代していく「サザエさん」を見ることを避けていたのかもしれない。
と、そんなことを考えながら、今日の「サザエさん」を見終えた。
中島君は、「あれ、しゃべってたっけ?」と一瞬思うほどの台詞数だったけど、思い起こせばたしかにあの中島君の声は聞こえていた。
☆
「おい磯野ォ!」
「磯野ー、野球やろうぜー!」
そんな声が、今でも鮮明に耳の奥で響いている。
この声もいつか忘れてしまうのだろうかと、ふいに考えてしまい、そして少し泣きそうになった。
番組が終わり、僕は考えた。
このまま「サザエさん」から離れ、中島君の声を記憶にとどめておくか、
それとも、また「サザエさん」を見るか…。
正解なんてないのだろうけど、僕は、これからも見ようと決めた。
理由は、言葉にするのも野暮だけど、白川さんだって見てほしいに決まっているからだ。
声を忘れてしまうとしたら悲しいけれど、幸い、以前の作品を見る手段など今やいくらでもある。
それよりも、声が次の世代にバトンタッチされ、あの世界がいつまでも楽しめることに感謝したいと思う。
いつまでも、できれば子どもと一緒に、「サザエさん」を見たいと思う。
そんなことを思った、日曜日の夜でした。