読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

カタダのペンギンな日々

ブログの可能性を模索する様子を見せるブログ。

炎上ブロガーが被害者ぶることへの違和感

【スポンサーリンク】

f:id:penguin-diary:20160403182241j:plain

photo credit: Fire via photopin (license)

「タイトルしか読んでない」「脊髄反射で反論」…?それごく一部じゃないの!?

 

はてなブログをはじめとするインターネット世界を見物していると、毎日のように炎上案件が目に入ってきます。

中でも個人ブログの場合、炎上した後に、軽く詫びつつ「でもこれだけは言わせてくれ!」と付け足しをする、いわゆる「てへぺろ記事」がアップされることが恒例となっている印象があります。

さらに、炎上狙いの釣り記事かと思えるようなタチの悪い記事を書く人になると、てへぺろどころか「ちゃんと読め」みたいな逆ギレ系記事をアップする傾向があるようです。

この種の記事に触れるたび、言い知れぬ違和感をおぼえてしまいまして。その正体がなんなのか考えてみたのですが、

「結局、読み手のことが見えてないよね!?」という事案があまりに多いのだということに気づきました。

という話を少し。

 

そもそも「炎上耐性」とは何なのか?

 

ネット上で見られる、「炎上」を起こした事実をどう捉えるかの話って、わりと限られている気がします。

 

「炎上なんてブログを続けていれば慣れる」

「ネガコメはスルー」

「批判を浴びたほうが成長できる」

「批判を気にしていたら成長できない」

「言いたいことを言えば、共感者は現れる」

「新しい考えは拒絶反応を起こすから、炎上上等」

 

などなど…。

もう何百回も見た気がしますが…。

特に最後の「新しい考えは拒絶反応を起こす」なんて、もちろんそれは真理ではあるのでしょうが、「拒絶反応が起きたから新しい考えだ!」みたいな、「逆」を「真」だと思い込んでしまった滑稽な人を目にすることもありますよね。

ブログ初心者ならまだしも、いわゆるプロブロガーと言われるような人たちも同じことを言っていて、頭を抱えたくなることがあります。

 

で、結局これらの意見を目にするときに思うのが、他者意識が絶望的に欠落しているなーという点です。

要するに、「え、アナタ自分が被害者だと思ってるの!?」という感覚といいましょうか。

 

炎上を起こした自分を被害者であるかのように捉え、その状態をどうポジティブに受け入れるかの話をドヤ顔で語る。

そこには他者を怒らせた、傷つけた、苛立たせた、あるいは誤情報を広めたことに対する考慮は一切ありません。

よくブログ論的な文脈で「炎上耐性」といった言葉が囁かれますが、なんで加害者のほうが「耐える」という話をしてるんだ??と倒錯した印象を抱くことが多いです。

結局、表現者なのに相手が見えてないんですよね。

 

スルーすべき中傷もたしかにあるが、それだけではない。

 

ブログをやっていると(ブログに限らず、何か表現をすると)たしかに理不尽な、心無い罵倒みたいなものが飛んでくることはあります。多くの人に読まれると一定数ヘンなこと言う人は現れますし、それに影響されて表現をやめるなんてことは残念極まりないことでしょう。

けど、だからと言って「批判」は全部クソだみたいに思いこむのは、書き手としては不誠実というか、少々みっともないなぁと思うわけです。

 

たとえば先日、はあちゅう氏が「旅をして人生変わったとか言う人は中身がゼロなのです」という煽り記事で炎上していましたが、その後に、

「世界一周してから言え」という声のなんと多いことよ。してるわ!

とコメントし、いかに本文を読まずにコメントする人が多いかを嘆いていました。

が、500超のはてなブックマークコメントにも、twitter上にも、こんな声は1件たりともないわけです

 

さすがにねつ造したとは思いませんが、どこかで聞こえた一部のクソコメントをあたかもコメント全体の象徴であるかのように語ってしまうのは情けないよなぁと思ってしまいます。

これははあちゅう氏だけでなく炎上したライターが皆やることなので、印象操作とかではなく、そう捉えなきゃ受け止めきれないという脳科学的な何かが原因なんでしょうが、「炎上耐性」というものが、他人を傷つけて平然と生きる力のことなのだろうかと思うと、ブロガーとはいったいなんぞやと考えてしまいます。

 

 

批判を受け止めない人間に成長はない。 

 

まぁ彼らに文句を言っても「栽培マンが何か言ってるwww」とか言われておしまいなので放っておくとして、ただ一般論としては、批判を完全に無視するのはもったいないよなと思うのです。

hagex.hatenadiary.jp

Hagex氏も、というか「暮しの手帖」の元編集長松浦弥太郎氏も言っているように、

「批判的な意見は、たいたい100パーセント当たっている」と考えたほうが成長できる気がします。(言うまでもなく、松浦氏は的外れな批判が存在することを百も承知のうえで、そういう心構えでいるべきという話をしているはず。)

 

まぁネットのシステム上、成長しない、つまりクズであり続けることでPVや収益が上がることもあるので、それが狙いならこの考えは当てはまらないわけですが。炎上させようとしたら記事なんて薄っぺらくし、わざと視野を狭め、中身がゼロとかバカとか過激なことを言えばいいわけですからね。

ただこの手の価値観は読み手のスルースキルが向上したり、Googleがネガティブな拡散を判別してスパム扱いしたりすれば淘汰されていくものですので、近い将来消えていくだろうなとは思います。

 

まとめ

大きな話になってしまいましたが、常に反省を繰り返していった人間のほうが成長は早いよねということ。

当たり前の話だと思うのですが、なぜかネット上だとそう考えてない人が多いように見受けられたので記事にしてみました。

とりあえず間違っても人を苛立たせてヘイトを集めて注目を集めるようなライターにはなりたくないなーと、自戒を込めた話でした。

(ついでに、わざとじゃない初心者の炎上は多少多めに見てやろうと思ったり…。常習犯は何されても仕方ないでしょうけどね!)

 

ではでは!

 

 

【スポンサーリンク】